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オーバーライド智恵子抄 智恵子と素子と鹿目まどか(4)

 さて、『智恵子抄』をはじめとする「ディスコミュニケーションの物語」と構造を共有しながら、「コミュニケーションの物語」になって「しまった」のが、2011年に放映されたアニメーション『魔法少女まどか☆マギカ』である。

 この作品は、周知のように、原作無し深夜アニメーションとしては異例のヒット作品である。監督の新房昭之は市川崑に強く影響を受けた、現在のアニメーションでは作品性を強く打ち出す人物であり、制作会社であるシャフトもその特性をよく活かすことのできる会社である。大ヒット作となった西尾維新原作の『化物語』はもとより、『さよなら絶望先生』『ひだまりスケッチ』『それでも町は廻っている』など、商業的に必ずしも大成功とはいえない作品群においても、その作家性は際立っている。根強い人気をもつ『魔法少女リリカルなのは』の最初のテレビ作品の監督でもある。

 新房監督を軸に、脚本家に18禁ゲームライターで独自の世界観を持つ虚淵玄、キャラクターデザインに、コロコロとしていながら(いわゆる「ぷに絵」でありながら)どこか「女性性」を匂わせる絵柄でカルト的な人気をもつ蒼樹うめを配置した本作は、下馬評がさほど高くなかったにも関わらず、オリジナル・アニメーションとしては記録的なディスク販売数を記録するなど、2011年の大人気作品となった。放映中に東日本大震災の大きな被害があったことを考えれば、記念碑的人気作品だったといえるだろう。

 もちろん、作家個人の、しかも編集者の関与が薄い分小説などよりはるかに個人的営為である高村光太郎の詩と、原則流通商品であり、しかも多数のクリエイターの共同作業で生み出されるアニメーション作品を同列に考えることはできない。アニメーションやゲームは、クリエイター間の解釈と表現の反復という共同作業によって形づくられているから、個人の資質のみが明示的に反映されたものとは言いがたい。方向性を決める監督や脚本家など、強い色を示すメンバーが存在していたとしても、決して彼らの作家性が直線的に示されたものではないからである。

 これは、宮崎駿であれ押井守であれ富野由悠季であれ変わらないし、実写でもアニメでも変わらない。キャラクターデザインや声優の演技、音楽、編集、実際の作画、すべてのチューニングが計画通りにできるとは限らない上、計画通りであっても市場が受け入れない作品になってしまう場合もある。

 結局は、映画やアニメーションやゲームは、製作段階からコミュニケーションの芸術なのである(程度の差こそあれ、評論や小説やマンガも作家と編集者、編集者と読者、作家と読者のコミュニケーションの芸術なのだが)。ある場合には作家だけのための言葉の覗き見のかたちで目に入る「詩」とは、この点が違う。

 ゼロ年代のアニメ批評、サブカル批評では、この点が過小評価されがちなのではないかと思う。文芸批評の方法論を、こういったコミュニケーションの芸術に素朴に適用するのは適当ではないと思われるが、意外に無限定に行われている。

もう少し、主体の問題はナイーヴに考えても良いのではないだろうか。

 「フラクタル」という、これも評価の高いアニメーション監督・山本寛を中心に、原案に東浩紀、脚本に岡田麿里、キャラクター原案に左を迎えた同時期の話題作が販売的にも批評的にも評価を得られなかったのは、内容やコンセプトの問題ではなく、商業アニメーションが根本的にコミュニケーションの芸術であることを等閑視したためではないかと思う。受容者自体が、そのコミュニケーションの外延に存在している現在、制作スタッフ同士のコミュニケーションに支障を来している作品が成功するはずはないのである。東浩紀は理論的にはこのことを知っていながら実装に失敗し、山本寛は知っていながらあえて受容者とのコミュニケーションを拒絶しているように見える。

 ヒロインであるネッサやフリュネの髪の色の原案との違いは、それを端的に表している。もともと「アニメキャラでしかありえないデザイン」に、「現実性」というファクターを寄与した結果、監督の個性が、スタッフの中で最も強く出た作品となっているのである。東や岸田の色を上書きして、個人的な表現を行ったのだから、山本がこの作品を墓に持って行くほど愛していてもおかしくはない。しかしそれは、商業アニメーションに期待されているものとは違っている。山村浩二のような作家性を最も強く山本に求めていたのは、皮肉なことに山本本人だったのだろう。

 少し脱線してしまった。

 『魔法少女まどか☆マギカ』は、ディスコミュニケーションの物語として構想されている。象徴的なのは、本来魔法少女の最大の理解者であるべきマスコットのポジションに、全く相互理解のできない(妥協はありうる)キュウべえというキャラクターが置かれていることである。キュウべえは、いわゆる悪役ではない。人間と異なったロジックで考える、互いに理解できない生き物である。

 魔法少女たち同士も、適切なコミュニケーションをとることができない。

 すべてを知りながら、「まどかを守る」という目的に頑なすぎて周囲とコミュニケーションをとることのできない暁美ほむら。孤独から抜け出そうとした心の隙を突かれて退場する巴マミ、自分の正義と片恋に固執するあまり、周囲の思いをくみ取る余裕のない美樹さやか、本来コミュニケーション志向が強くその能力も高いのに偽悪的にふるまう佐倉杏子、といった具合にディスコミュニケーションの物語が積み上げられていく。

 唯一主人公の鹿目まどかだけが、極めて受け身ながら、彼女たちとのコミュニケーションを、驚異的な粘り強さで続けている、というのが、この物語の基本構造である。

 したがって、本作において鹿目まどかが「すべての魔法少女の因果を受け止める」存在に昇華されるのは、至極当然の結末なのである。

 ここまでくればおわかりであろうか。本編が暁美ほむら視点で描かれているために、『魔法少女まどか☆マギカ』の結末は一見「智恵子抄」のごとき一方的な神格化と同じように見えるが、実は正反対の物語なのである。
 「すべての魔女を消し去りたい」というまどかのコミュニケーションの志向は、見えない誰かに向けてさえオープンであり、ほむら一人に向けられたものではない。まどか一人だけに向けられていたほむらの思いは、まどかを通じて世界に開かれることになる。だからこそ、ほむらは「戦い続ける」のである。

 それに対して、『智恵子抄』及び一連の智恵子を巡る詩は、智恵子に向かって閉じている。智恵子は光太郎をいきなり世界に直接接続しており、そこにほかの人間の介在する余地はない。

いうならば、『智恵子抄』の方がより「セカイ系」的であるとさえいえよう。
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テーマ : 文明・文化&思想
ジャンル : 学問・文化・芸術

オーバーライド智恵子抄 智恵子と素子と鹿目まどか(3)

 このタイトルの最初に触れたように、智恵子抄は実はディスコミュニケーションの詩であり、高村光太郎の一方的な礼賛と、智恵子という実在の人格への無理解の物語である。

 このこと自体は、実はかなり早い段階から指摘されている。
 辛辣だが代表的な批評の例として、平井基澄の次の言葉をあげておこう。

「光太郎は現実の人間的欲求を持たない面でのみ智恵子を要請しているのである。「おそれ」では、「いけない、いけない」に光太郎の感情のすべてがかかっているが、相手を理解しようとする態度は微塵も見えない。……彼は自己の立場を確立するために、智恵子の欲求を受け入れるだけの余裕を持たない。けれども彼の求める伴侶は逆に彼を全面的に受け入れる人でなければならない。……智恵子は人格の所有者としてはあまりに無理な要請をされている」(『智恵子抄試論』(1964)、日本文学協会)

 これは、「智恵子抄」の読解としては、外しようがないものであろう。だから、光太郎と智恵子の関係を視点にする限りにおいては、次のような読みから逃れることは難しい。

「光太郎は智恵子を「永遠の女性像」と考えていました。素晴らしい言葉で彼女を誉め崇えたのです。「神の造りしもの」だと考えていたのです。しかし、これは光太郎が造りあげてしまったものであって、「永遠の女性像」に智恵子をはめ込もうとしたと思うのです……智恵子の方としても、それを崩してはいけないと思うのは当然です。……そして智恵子は狂ってしまった。」(水子俊江「「智恵子抄」における光太郎の心情」、『学海』6号(1990)、上田女子短期大学)

 こんな関係を受け止めてまで光太郎を愛し続けた智恵子の物語が別のラインとして構想されることはあっても、「智恵子抄」はやはり孤独な魂の一方通行の愛の形を示している。最初に述べたように、光太郎が智恵子を美化すれば美化するほど、その断絶は深まっていく。光太郎の中で智恵子が女神になればなるほど、独立した人格であった智恵子との距離は遠ざかっていく。

 このモチーフは、どういうわけかとても現代的である。
 智恵子は実在したから狂ってしまったが、実在しない女性だったらどうだろうか?
 あらかじめ失われた女性であったらどうだろうか?

 「相手を理解しようとする態度は微塵も見えない。……彼は自己の立場を確立するために、智恵子の欲求を受け入れるだけの余裕を持たない。けれども彼の求める伴侶は逆に彼を全面的に受け入れる人でなければならない」ような(私たち男性の大多数にとって)、これほど都合がいいことはないだろう。

 実在するアイドルは、画面で見る限りは都合の悪い人格をもたないが、実際には個人として独立した人格であり、スキャンダルのような形でいつ私たちを裏切るかわからない。その不安定さに耐えられる程度の「余裕」があれば、このレベルに踏みとどまり、いずれより近くにいる「人格をもつ女性」を理解する方向に進むこともできるだろう。

 ある物語のキャラクター……漫画であれ小説であれゲームであれアニメであれ……はどうだろうか。

 これらは当然、人格をもたないから、それ自体は裏切ることがない。しかし、「作品」はどんなものであれ他人が造るものである。クリエイターは、独立した人格を持っている。だからやはり、裏切られることもある。
 深夜アニメやライトノベルのように、マーケティングに基づき、慎重に受け手を裏切らないように造っているものでさえ、何かの間違いで(製作サイドの能力だったり工期だったり予算だったりするのだろう)受け手の思いを裏切るのである。受け手の数だけ望みがあり、そのすべてを叶えることが原理的に不可能である以上は、常に誰かは裏切られていることになる。

 その裏切りの痛みは、口汚い「アンチ」の言葉として、ネット上の掲示板に垂れ流される。それは、裏切りを責める言葉であるとともに、裏切りの痛みに耐えられない者の悲鳴でもある。

 ネットで高い人気を誇る『東方プロジェクト』は、この点でうまくツボに嵌まっているといえるだろう。シューティングゲームにルーツをもつ『東方プロジェクト』は、キャラクターと設定のみがあって物語が公式には定められていない。ゲームと音楽とキャラクターが作品であって「物語」ではない。その意味では、好き嫌いはあっても裏切りの嫌悪を向けられることは少ないと思われるからである。

 『らき☆すた』『けいおん!!』といった、特に物語らしい物語がない、エピソード記憶のようなアニメ作品が、深夜アニメのファンの人気を博す背景にも、同じような「裏切られなさ」があるように思える。
 ライトノベルや深夜アニメのキャラクター、ストーリーのテンプレート化についても同じような印象を受ける。一見「突拍子もない設定」ですら、「突拍子もない設定というテンプレート」になってしまっている。
 また、そうでなければ、裏切りの代償を覚悟しなければならない。たとえばそれは、作品の売り上げの悪化という形で代償を支払わされるということである。
 個人的表現である小説ならばまだ作家の個人的覚悟で済むが、アニメやゲームのような、集団作業でつくられる商品については、それを受け入れる会社は皆無だろう。

 このようなメタレベルでの受け手の姿勢と、作品としての「女性の女神化」は、リンクしているかどうかわからないが、相似してはいる。
 作り手の「女神」も、受け手の「女神」も、同じ穴の狢である。
 極端な美化からは、「相手を理解しようとする態度は微塵も見えない」。理解できないから賛美する、のである。

 話は戻るが、『攻殻機動隊』では、左脳的な理解の範疇に収まっている原作版は草薙素子を賛美することなく静かに終わり、叙情的な要素の強い押井守の映画版はバトーを通じて素子への賛美を描いて終っている。
 士郎正宗の、メカニカルで非人間的で中性的な視点で描かれていた『攻殻機動隊』を、押井守は、人間的で男性的な視点の、コンベンショナルな物語に変換しているのである。
 だからこそ、押井の映画版の画面や世界観の圧倒的なクオリティは、鼻につくことなく受け止められたのである。

 だから、この物語構造は、基本的にはどこまでいってもディスコミュニケーションの物語である(士郎正宗の原作『攻殻機動隊』は、コミュニケーションを単なる情報交換とほぼ等価に描いているので、若干違うが)。

 ところが、この物語構造を逆手にとって、コミュニケーションの物語をやってしまった作品がある。やってしまった、というより、結果的になってしまった、という方が正確かもしれない。

 それは、ごく最近最終回が放送された、「魔法少女まどか☆マギカ」である。
 この作品では、男と女の物語が、少女と少女の物語に転換することで、ディスコミュニケーションの物語が、コミュニケーションの物語に反転してしまっている。
 

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オーバーライド智恵子抄 智恵子と素子と鹿目まどか(2)

 高村光太郎の、晩年近くの「智恵子」テーマの詩は、遍在するミューズとしての智恵子との関係性を詠ったものである。
 すでに亡くなってひさしい智恵子という実体と対話することはできないから、これは光太郎の脳内に実在する智恵子との対話である。 その対話は光太郎にのみ可能であり、智恵子は光太郎に託宣を与えているようだが、光太郎は預言者として振る舞っていないので、その内容は外部には分からない。
 しかし智恵子は実在し遍在し、世界を満たしている。

 もちろん、光太郎のこの表現は、メタファとして捉えるべきものである。

 しかし、あえてそうではなく、ライトノベルばりに「描写」と捉えたら、どうなるだろうか?
 
 光太郎の前から消え去った智恵子が、それによって世界に遍在するようになったとして。そして、光太郎だけが折に触れ智恵子の存在を感じることができ、智恵子とともにあることを実感できるのだとしたら。
 智恵子は一種の元素、一種の法則、一種の神として世界に溢れていることになる(それは、高村光太郎にしか応えず、高村光太郎にしか関知できないのであるが)。

 すでにネット上で数多く指摘されているようだが、このモチーフ自体は、むしろ近年の漫画やアニメーションなどに比較的多く見受けられる、ある種ありふれたものである。

 おそらく首藤剛志の小説版『バース―または子どもの遊び』(1984)あたりを端緒として、80年代~90年代に、この領域でフォーマット化されたのではないだろうか。
 
 『バース』の場合、もとになった金田伊功のアニメは、動き回るばかりでストーリーがほとんど理解できないような代物だったが、首藤の小説版は、バース世界の創造主であるアーリアの死と復活の物語に書き換えられている。
 ありがちな女神風のキャラクター(松本零士メーテルなど、この段階でもすでにストックキャラクターが存在していた)であり、本来狂言回し的立ち位置のキャラクターであるアーリアに物語を背負わせることで、首藤は主人公・ナムたちの無限の追いかけっこに意味を与えたのである。死にゆく子供でしかないアーリアは、(電子ネットワークで作られたものとはいえ)世界と一体化することで生き続け、アーリアの中でナムやラサたち、ストーリーの担い手たちは生き延びていく。
 余談だが、メタフィクショナルな設定という意味でも、この作品は記憶されていて良いのではないだろうか。『時の異邦人』といい、首藤はよくこんな難解な脚本を当時アニメにもちこんだものだと思う。
 
 士郎正宗の漫画を原作とする『攻殻機動隊』(1989~)にも、似た状況を描いた場面がある。
 押井守監督による映画化やテレビアニメ化もされた人気作品であるが、原作・映画第1作のエンディングはまさに草薙素子が(智恵子と同様に)世界に偏在する存在に変化したところで終わるのである。

 ただし、原作では、同僚のバトーは、素子の昇華の場に立ち会いながら、傍観者としてそれを眺めるだけであり、「ゴーストと機械」というテーマの方が強く出ている。ここでは、草薙素子はたまたま女性という設定がなされているに過ぎず、代わりに、機械的な冷徹さ、論理的なドライさが表面に浮かびだしている。状況は類似しているが、光太郎の詩にあるような、男性から女性への信仰の匂いは希薄である。
 
 それに対して、押井守の映画版では、わずかな改変によって、バトーのつよい恋慕の情が(抑え気味の表現だが)前面に出てきている。押井は士郎正宗の原作の根幹的なテーマを、自分自身のテーマに読み替えており、この場面の意味を変質させ、光太郎の詩に近づけてしまっているのである。要するに、映画版では、原作のSF的なモチーフが、SFの形を借りた女性信仰的なものにシフトしてしまっている。
 
 首藤の『バース』の世界もコンピュータネットワークでできているという設定であり、『攻殻機動隊』と期せずして同じような方向性を示している。『バース』では「現実」のアーリアは死んでしまって「ネット」世界しか残されていないが、『攻殻』では「ネット」という素子の世界と「現実」というバトーたちの取り残された世界が併存しているという点で、大きな違いはあるのだが。
 
 比較してみると、構造的には『バース』より『攻殻』の方が、「智恵子」に近いことが分かる。愛した女性が、世界そのものになってしまう。ふれ合うことはできないが、一方、いつ何時どんな場所でもふれ合う事ができる存在になってしまう。
 映画の続編として作られた『イノセンス』は、その後のバトーと素子を描いているが、そこでは、バトーの危機に素子が「降臨」するという形で、このモチーフがなんの衒いもなく直球で描かれている。

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オーバーライド智恵子抄 智恵子と素子と鹿目まどか(1)

 高村光太郎(1886~1956)のことを、『智恵子抄』の作者としてのみ記憶している方も多いかもしれない。あるいは、彫刻家・高村光雲(美術の教科書に必ず載っている木彫「老猿」の作者だ)の息子で、ヨーロッパ留学経験をもつ近代彫刻作家としてか。日本で最初のロダンの評価者であった光太郎の本分は彫刻家であり、短歌にはじまる文学はあくまでも余技であった(余技と言うにはあまりに高水準であるとはいえ)。

 とはいえ、その有名さの割に、『智恵子抄』自体、ましてやその後に発表された智恵子をテーマとした詩などは、現在はあまり読まれていないのではないだろうか。

 よく知られているだろう『智恵子抄』にしても、実際に認知されているのはそのうちの一編「あどけない話」の「智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ」のくだりくらいだろう。
 このフレーズは、よく、「田舎の空に比べて都会の空が汚れている」というような文脈で勝手に理解されているが、実際はそうではない。このくだりの続きは「私は驚いて空を見る。桜若葉の間にあるのは、切っても切れないむかしなじみのきれいな空だ」であり、ここにある東京の空は高度経済成長期以降の、汚れた東京の空ではないことに注意が必要である。

 しかしそれでも、「智恵子のほんとの空」はやはり、「阿多々羅山の山の上に毎日出てゐる青い空」でしかないのである。

 仮にそれが大阪の空であろうと沖縄の空であろうと、それは「智恵子のほんとの空」ではない。どちらが美しいとか汚れているとかそういう問題ではなく、智恵子の空は故郷の空でしかない、ということである。光太郎には、その違いは「あどけない話」でしかないが、智恵子には「ほんと」の話なのである。

 そう考えたとき、『智恵子抄』をはじめとする妻・智恵子を詠んだ光太郎の詩は、現在の私たちの目には、愛の賛歌と言うよりは、痛々しい断絶の詩のように映る。

 智恵子も光太郎も、お互いを愛しながら、お互いに決して目を向けることがないように見える。
 それは、端的に言えば、壁越しに、自分で描いた相手の像に話しかけている姿である。

 光太郎が、『青鞜』の表紙などを手がけていた洋画家・長沼智恵子と出会ったのは明治44年(1911)年のことだった。光太郎29歳はともかく、智恵子27歳は当時としてはかなり遅い出会いだったと思われる。その後3年間、交際を深めた二人は、大正3年(1914)に結婚した。

 この二人の関係は、光太郎の芸術的才能に惹かれた智恵子と、一途で純粋な智恵子の人間性に惹かれた光太郎、というようなものだったとと捉えられているようであり、智恵子をテーマにした光太郎の詩にもその傾向が見られるように思われる。

 してみると、ここには最初から大きなズレが内包されているのではないだろうか。智恵子は、光太郎の期待に応えるべく一途で純粋な女神の如き存在であることを求められる一方、光太郎の芸術的才能と並び立たなければ対等の関係を持ち得ない。
 一方光太郎の側では、理想像としての智恵子を神格化していく一方、芸術的な成長や世俗への適応などには関心を示していないから、智恵子は人として光太郎に並ぶことを予め禁じられていたようなものである。女神のように高いところにおかれるか、取るに足らない芸術家として低いところに置かれているかしか選択肢がないとしたら、それはなんと痛々しいことか。

 そして光太郎は、この痛々しさに終生気付くことがなかったようである。
 晩年近くになっても、こんな詩を書いている。

「智恵子はすでに元素にかへつた。
……(略)……
わたくしの肉に居る智恵子は、
そのままわたくしの精神の極北。
智恵子はこよなき審判者であり、
うちに智恵子の睡る時わたくしは過ち、
耳に智恵子の声をきく時わたくしは正しい。
……(略)……
元素智恵子は今でもなほ
わたくしの肉に居てわたくしに笑ふ。」(「元素智恵子」)

「……(略)……
智恵子は死んでよみがへり、
わたくしの肉に宿ってここに生き、
かくの如き山川草木にまみれてよろこぶ。
変幻きはまりない宇宙の現象、
転変かぎりない世代の起伏。
それをみんな智恵子がうけとめ、
それをわたくしが融和する
……(略)……」(「メトロポオル」)

 光太郎は智恵子が死んだのではなく、世界すべてと光太郎を繋ぐインターフェースになったと詠う。あるいは世界に智恵子が元素のように遍在し、充満していると詠う。

 これを、どう受け止めるべきだろうか。
 愛という祭壇に祭りあげられていると考えるべきか、それとも理想という名の牢獄に永遠に捉えられていると考えるべきか。

 ところで。

 これらの詩のモチーフは、何かに似てはいないだろうか。
(以下続)

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ワードプロセッサ逍遥 (1)1994年の夏休み

 ワープロ専用機程度の紙出力ができるMac用のワープロソフトが欲しい、というのが、1994年の夏休みの私の欲求のひとつだった。

 なにしろ、普及機種とはいえ、MacintoishであるPerforma520は、貧乏大学院生には分不相応な買い物だったから、投げ出すわけにはいかない。しかし、標準添付のクラリスワークス2.0やSimpleTextはとても私の要求を満たすソフトではなかったし、そもそも舶来のMacで自分の要求を満たすワープロソフトがなんなのか、全く見当がつかなかった。

 実際には、国文学畑のPC-98ユーザーの方が、DTPが得意な筈のMacのユーザーより、断然綺麗な資料を作成していた。
 ジャストウィンドウ版の花子一太郎の組み合わせは、マルチフォント、正確な組版、画像混在など、当時の基準でいえばかなり高度なドキュメントの製作を可能にしていたのである(プリンタなど出力環境の違いがあるので一概には言いにくいが、正確な日本語組版に関しては、2011年現在のWordなどより、当時の一太郎の方が優れていると思う)。

 創造系PCとして名高いMacを使いながらで、ワープロ専用機はおろか国産機レベルにも達しない印刷物しか作ることができないのは、とても情けなかった。

 そこで、パソコン雑誌やMacのマニュアル本を買いあさり、また、休日に京都の電気街であった寺町(最近はあまりそういう印象はないが)や、大阪・日本橋に足を運んで、ワープロソフトについての情報を収集することにした。

 現在と違い、オンラインの情報源はNifty-ServeASCIIネットのようなパソコン通信くらいしかなく、活字メディアか販売店でしか情報が入手できなかったのである。また、周囲のユーザーに話を聞いたり、試しに使わせてもらったりもした。とにかく、一太郎や文豪にはできない「格好いいドキュメント」を作りたかったのである。

 当時もっともスタンダードなMac用の日本語ワープロソフトはエルゴソフトのEGWORDだった。
 他にもMacWriteⅡとかMicrosoft Wordが比較的多く使われていた。当時Wordと覇権を競っていたWordPerfectの日本語版もあったし、日本語縦書きを必要としなければ、マルチランゲージ対応環境でSolo Writerを使用するという選択肢もあり、また、少し後(1995年)には、唯一のMac版一太郎であるVer.5をジャストシステムが発売しているから、2011年現在よりもある意味選択肢には恵まれていた(Mac版のワープロソフトは、現在でも特徴的なものが多数存在していて、Windowsよりは状況はマシだが)。
 ただし、一太郎とEGWord以外は縦書対応など日本語独自の機能の実装が怪しかったように思う(実際に動かして確認していないので、記憶違いかもしれない)。
 当時私は、大学や友人の機材を借りてこれらを一通り試して、簡単なレビューのメモを残している。あくまで自分の購入検討のためのメモであり、勝手な印象に過ぎないので、現在の目で見ると正確な評価とは思えないが、当時の気分とか皮膚感覚を思い出す面もある。そのメモには、次のようなことが書かれていた。

Solo Writer
 長文編集と脚注の取り扱いが得意で、動作も軽く、学術論文執筆には適している。EndNoteと連携することもでき、安定性も持ち合わせている。ただし日本語関連機能はあまり充実していない。書式付きテキストエディタのようなソフト(このソフトは、後にNisus Writerとなった。1994年頃は、それまで主流だったWordを駆逐するような勢いがあったようだ)。

EGWORD
 どことなくMacソフトというよりDOSソフトのような使い勝手。日本語変換は標準よりは賢い。書式設定も日本向き。やや重いがWordPerfectやWordほどではない。

MacWriteⅡ
 何か日本語の書式設定をやるとソフトが落ちたりOSがフリーズする。機能拡張が多すぎて不安になる。動作は意外と軽い。

WordPerfect
 見た目が格好いい。高機能すぎてよく分からない印象。長文を扱っていると落ちる。文書ファイルのリソースフォークが消えて白紙アイコンになったりする。カーニング関係の動作が変。

・Word
 思ったより軽いが、やはり重い。ディスクを食い過ぎのような気がする。動作がいちいち重い。

 余談だが、当時オンライン・テキストの拡張子によく「.DOC」が使われていて、Wordのファイルかテキストファイルか区別ができない場合があった。アメリカ等のサイトにある場合はWordの独自ファイルの拡張子、日本のパソコン通信に置かれていた場合はプレーンテキストであることが多かったようだ。

 最近の人は知らないかもしれないが、ExcelもWordももともとはMac向けの製品として開発されたソフトウェアである。むしろWindows版の方が、Mac用アプリの移植なのであるが、Windows3.1以降、マイクロソフトはOfficeソフト開発の主眼をWindows版に移行してしまったため、Mac版Wordのバージョンアップは一時停まってしまっていた。それが、WordPerfectやSolo Writer普及の追い風になっていたように思われる。

 当時のプアなメモリ環境(デフォルト4MB、一般的には8MB~32MBが主流だった)では、MacWriteⅡやWordのような大量の機能拡張を伴うアプリケーションは、大きなサイズのデータの取り回しに不安定な印象もあった。
 MacWrite、Wordについては、ある程度大きなサイズの文書を編集しているとメモリ不足による強制終了によく出会い、最悪の場合データが壊れたりした。あまり信用して使っていなかったようである。Excelも結構良く落ちるソフトだったが、Wordはその比ではないほどよく落ちた。

 一通り試してみた結果、どのソフトも一長一短で、自分の要求を完全に満たすものはなかった。一太郎と同等にルビ付き縦書きの資料を綺麗にレイアウトできるのはEGWORDくらいしかなかった。日本語入力システムとしてEGBRIDGEを標準装備していたために、漢字変換が賢かったのも印象に残っている。他のソフトではOS標準の「ことえり」を使うか、別にVJEをインストールする必要があった。

 いずれにせよこれらのソフトは、価格が一本数万円する高価なもので、(生協価格でも)購入する踏ん切りが付かなかった。単に貧乏だったからというより、道具としてそこまで投資する必要を感じなかったのである。

 「たまづさ」やORGAIといった、日本語環境に特化したソフトウェアもあったが、これらを使うくらいなら最初からワープロ専用機を使用する方が効率的なような気がして、あまり食指が動かなかった。そこで、発想を転換し、完全に希望を満たすものではなく、最低限の要求性能を満たす、安価なソフトを探すことにした。

 当時もっとも安価に買えたMac用の日本語ワープロソフトは、カテナから発売されていたFlash Writerというワープロソフトだった。
 Flash Writerは縦書に対応し、脚注機能も実装していた。日本語インプット・メソッドが付属していなかったので、別に日本語入力プログラムを購入しない限り、Macintoshに付属する「ことえり」を使うしかなかったが、ワープロで作成したテキストをMS-DOSテキストとして流し込み、縦書き資料を使るのには充分使えそうだった。ワープロ専用機と違い、(「なんちゃって」ではあるが)WYSIWYGで編集ができるのも魅力だった。

 最終的には、このソフトを使おうと決めて購入した。

 では、私はこのソフトで原稿を書き、資料を作りまくったのか?

 そうとも言えるし、そうでないとも言える。

 ガシガシ原稿を書くには、やはり「ことえり」の日本語変換が使えなさすぎたのである。これは、ワープロソフトの責任ではないのだが、どうしようもなかった。思った漢字が出ないストレスは、耐えがたかった。
 文豪mini7Rで慣れ親しんでいたNEC AI日本語変換以下の変換効率であり、執筆速度がガタ落ちになってしまった。SHARPの書院など、ワープロ専用機の日本語変換の性能は既に現在とさほど遜色ないレベルになっていたので、日本語変換が使い物にならない、というのは致命傷だった。

 VJEやATOKを導入していれば、軽くて比較的安定していたFlash Writerにはもっと活躍の場があったかもしれない。しかし結局、このソフトはさほど使い込まないままお蔵入りさせてしまった。

 なぜなら、中古で入手したEPSONの「国民機」ことPC-98互換ノートパソコンであるPC-386WRがあまりに使いやすかったために、原稿執筆にはこちらを主に使うようになってしまったからである。

 このPC-386WR、もともとは図書館などでのノート取りのために買った低スペックのノートパソコンで、HDDは20MB、メモリは640KBしかなかった。HDDにはATOK7とMS-DOS3.0、Vz-Editorしか入っていなかった。このうちDOSとATOKはもともと入っていたか友人のディスクを譲ってもらったかの怪しい代物だったが、当時はあまり深く考えないでそのまま使っていた。
 この機械は、安かったがPerforma520の数倍は使い込んだ。VzーEditorで原稿を書き、バイトで学部生の卒論梗概百数十人分を入力し、研究機関がDOSベースで配布していたテキストデータベースを使い倒した。

 Performaはもはやレイアウトと印刷にしか使わなくなってしまい、それすらも研究室のPageMakerでやるようになると、完全にインテリアと化してしまった。

 このとき私が学んだのは、ワープロソフトに自分が求めていた機能が、執筆環境と出力環境に切り分けられる、ということだった。

 VZ Editorは、動作が軽く安定していて、マクロによる機能拡張やカスタマイズによって原稿執筆に必要な機能をほぼ揃えていた。複数文書を開いてのコピーペースト、脚注、目次の生成、ファイルのマージなど、違和感なく使うことができた。ATOKの変換も賢く、文房具として理想的だった。

 一方、PageMakerは簡単なソフトではなかったが、一応思った通りの製版ができた。ただ、Windows版の一太郎にテキストを流し込む方が簡単だった。

 「ことえり」とFlash Writerしか入っていないMacに勝ち目はなかった。

 翌1995年の夏に、私はPeformaをSofmapに売り渡し、DOS/Vのサブノートに買い換えることにした。
 キャラベルという周辺機器メーカーが発売していた、台湾製のOEM製品だった。Windows3,1とDOS/V5.0を搭載し、インテル486SX/25MhzのCPU,メモリは4MB、HDDは120MB、モノクロSTN液晶だった。

 私はこのマシンで、DOSとWindowsを切り替えて使おうとした。DOS/V上のVzエディタで原稿執筆を行い、書き上がったところでWindowsを立ち上げて、WYSIWYGのワープロソフトで仕上げと印刷を行う、という使い方を想定したのである。日本語入力システムも、WindowsではなくDOS/Vをメインに考えて、あえてWindows版ではなくDOS/V版WX3をチョイスしたくらいだ。レイアウトソフトには、当時まだマイナーだった「パーソナル編集長」を使うことにした。

 翌年、Sofmapでたたき売られていたSotec WinBook SCに買い換えるまで、このマシンはかなり使い込んだ。使っている間は何の問題もなかったのだが、後で考えると「パーソナル編集長」のチョイスは失敗だったようだ。
 Wordや一太郎で読み込めないファイル形式のため、この頃作ったファイルの大半が(テキストファイルを除いて)再利用できないのである。マイナーなソフトで作ったファイルは、RTFかTXTにしておかないと他人に渡せないし、いつ再利用できなくなるかわからないという問題がある。現在ならPDFにしておく方法もあるのだが……。

 この環境は、私にとってエプソンのノートとMacを統合した理想的なものになるはずだった。しかし実際には、使用効率はむしろ下がってしまったように思う。DOS/V版Vz-Editorの画面表示が、98版に比べて綺麗でなかったため、使い勝手に想像以上の差ができてしまったのである。これはVzのせいではなく、DOS/Vのマルチランゲージの取り扱い方法の問題だったので、どうしようもなかった。
 V-TEXTによって表示文字数を増やせるというメリットもあったが、どうしても書き心地の面でPC-386のレベルには及ばなかった。手になれたツールを、深く考えずに他のものに置き換えると、だいたいこういうことになる(分かってはいるのだが、今でも同じような過ちを繰り返してしまう)。

 それでも、この時、私の執筆環境は、一旦実用的な状態に落ち着いた。

 Windows95という歴史を変えるOSが発売されたのは、その年の初冬のことだった。
 それとともに私の執筆環境は大きく乱れ、再びワープロ逍遥の日々が始まるのであるが、それはまた次回のお話しである。(以下続)
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地方在住の歴史社会学研究者・Master.Tです。

たとえば「創造」と「経済」の問題を「職業作家とクリエイター」とか「作品と製品」の視野で考えてみたり。
社会思想と都市計画とか、都市生活と思想史の問題とか、近代における「地方」の成立とか。
そんな問題を、手持ちのツールで、可能な範囲で腑分けしたり組み立てたり脱構築したりシミュレーションしたりします。
講座、イベントの告知もこのブログに。

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